日常の終わり / a calm before a storm


 早朝。

 ぱしゃぁっ……ぱしゃぁっ……。

 朝霧に覆われた森の中。

 ぱしゃぁっ……ぱしゃぁっ……。

 低く響く滝の音に混じり。

 ぱしゃぁっ……ぱしゃっ。

 水音が響いていた。




「……はじめますか」

 音の主――水垢離をしていた少女――は、そう呟くと水中へと歩を進める。
 朝の冷気と水の冷気。
 二重の冷気に責められているというのに、彼女の足取りにはよどみがない。
 真っ直ぐに滝壺へと足を進める。
 響くのは滝の音。
 そして、時折響く野鳥の声。
 けれど、それらの音も今は静寂を引き立てるだけの役割に落ちていた。
 音がある故に際だつ静謐。
 場を支配する一人の少女。


 滝壺へ辿り着くと、彼女はそのまましとどと流れ落ちる滝の下へとその身を沈める。
 乱れる音。
 彼女を打ち、水は宙で砕け散る。
 飛沫が飛散する。
 それでも、彼女は目を閉じたまま滝に打たれている。
 僅かに動く唇。

「高天の原に 神留まります……」

 彼女の唇は祝詞を紡いでいる。
 滝の音に覆われるほど小さく――
 ――けれど、掻き消されないほど強く。
 彼女の唇は詞を紡ぎ続ける。

「……八百万の神たち 共に聞こし召せと白す」

 どれほどの間そうしていただろう。
 その詞を最後に唇は閉じられる。
 それでも彼女の横顔は張りつめたまま。
 瞳は封じられたままに、中空を見据える。


 それは何か――誰か?――を待ち続けるような。


 しばしの静寂。
 数秒。それとも数分か。

「お待ちしておりました」

 彼女の唇が再び詞を紡ぐ。
 けれど、誰が来たというのだろうか。
 未だ周囲に人影はない。
 それに、彼女の瞳は封じられたままで、周囲の光景を写してはいない。

「はい。…………さようですか」

 それでも、彼女の唇は詞を紡ぐ。
 まるで誰かと会話しているように。

「それでは……。はい……」

 彼女の眉根が歪む。
 微かに。
 見るモノなどいないのに、見咎められるのを拒むように。
 微かに。

「わかりました。……はい。はい。為すべきことは心得ておりますから。……はい」

 ほぅ
 そこまで話すと、彼女は一つ吐息を落した。
 さっきまでの張りつめた空気はそこにはない。
 たあ、一人の少女が其処にある。

「地球の危機に、二人の救世主、ですか。……大変そうですね」

 滝に打たれるままにおっとりと彼女は呟く。
 疑っているというわけでもない。
 地球の危機も彼女にとっては、それだけのことにすぎないのか。

「どちらにしても、私は依代として為すべきことを為すだけですね。神様もそれをお望みですし」

 人ごとのような口調。
 自分の為すことを知って、彼女は何も変わらない。
 それが……。

「本当に、何事もなければよろし……へくちっ」

 …………。
 可愛らしいくしゃみが当りに響き渡る。

「およっ。もう、あがりませんと、風邪をひいてしまいますね」

 彼女は呟きながら水からあがると、森の中の小径へと消えていく。
 あとは何事もなかったように。


 彼女が口にしているのは未来の出来事だったから。