少女は望み、紳士は語り / in the small world story



 ばたん!!

 大きな音を立てて、開いた扉からぬいぐるみを抱えた少女が飛び込んでくる。
 けれど、部屋の主――初老の紳士――は落ち着いた様子で文庫本を閉じると、少女の方へ身体を向ける。
 こういったことにももう慣れた。
 そんな風情だ。

「じいや、じいや!!」

「はい。何ですか、お嬢様?」

「お話して、お話聞きたいな」

 少女は期待に瞳をきらきらと輝かせ、紳士を見つめる。
 紳士はそれに困ったように首を捻ると口を開いた。

「私の話で宜しいのですか?」

「んみゅ♪ ナーシャはじいやの話が聞きたいの」

「そうですか。……では、お一つ」

「んみゅ」

「それでは……。そうですな、湖の騎士の物語を」

「うんうん」

「昔、あるところに……」


 紳士は物語を綴り始める。
 何も見ないままに物語を諳んじる。
 静かに。
 激しく。
 穏やかに。
 荒々しく。
 少女の為に物語を紡ぐ。
 
 そして――
 ――少女は夢想する。
 人を。
 思いを。
 舞台を。
 紡がれる物語がもたらすモノを。
 思い描き――夢想する。
 
 紡がれる物語に一喜一憂して、ころころと表情を変えながら、物語の世界へと入り込む。
 そこで彼女は、騎士であり、姫であり、従者であり――
 ――何者でもない。

 故に全てに憧れる。
 それが物語を素直な心で聞くモノだけに与えられる特権か。


「……といういわけで、今日のお話はここまでです」

 そして、物語は定められたとおりの結末を。
 即ち終焉を迎える。

「んみゅー! じいや、もっと聞きたいーー」

 何処にでもある風景。
 さらなる物語を望む少女は、紳士の腰にまとわりつく。
 可哀想なことに、ぬいぐるみはないがしろだ。
 紳士は少しだけ苦笑を浮かべると、ぬいぐるみを拾ってやる。
 
「お嬢様」

「んみゅ?」

「カルル様をこのようにされては、悲しまれますよ」

「んみゅ……。ごめんね、カルル」

 紳士の言葉に少女はぬいぐるみ――カルル――を抱え直す。
 大事な友達をないがしろにした、後悔を顔に浮かべて。

「大丈夫、カルル様も怒ってはおられませんよ」

「んみゅ? ほんとに?」

「勿論です。でも、お嬢様がカルル様に謝って差し上げたいのなら…………そうですね。ここはやはり、一緒に遊んで差し上げるのが宜しいのでは?」

「んみゅ♪ わかった。ありがと、じいや」

 少女は慌てて部屋から飛び出して行こうとする。
 もちろん友達をしっかりと胸に抱えたまま。

「あっ、お嬢様」

「んみゅ?」

「あとでおやつを持っていきますので。お部屋をあまり散らかさないように、カルル様にもお伝えください」

 微笑みながら告げる。
 何処かほっとしているのは、物語をせびられなかったから?
 と考えるのは人が悪すぎる、か。

「うん♪ おやつ楽しみにしてるねー♪」

 嬉しそうにそう言うと、少女は部屋から飛び出していった。
 ぱたぱたと廊下を駆ける音がする。
 紳士は苦笑。
 相変わらずと言えば相変わらず。

「ふぅ……。お嬢様のお相手も疲れますな」

 一息。
 すでに冷えたティーカップに口を付ける。

「けれど、いつまで私の話を聞いて頂けるものか。……なかなか複雑な心境ですな」

 未来を語るもの特有の幸せそうな、寂しそうな表情で紳士は呟くと部屋をあとにした。
 勿論、お嬢様にお菓子を準備する為だ。